海亀 |
3/3 PAGE
|
|||
夜になってここを訪れた どうしてか昼にしかここへ来たことは無かった 青く震える水の向うでその人は「いらっしゃいませ」と言った 僕は答えなかった 黙って雨上がりの路面を眺めていた 初めてここに来たときのことを思い出していたのだ 「海亀を飼っていたの。まだ小さいのを海岸で拾ったのよ」 |
||||
|
水の中でその人の瞳がチカリと光った 「その人と行った海で?」 その男のことを知らないのに僕は言った 「半年でみるみる大きくなったわ。この水槽に入りきらなくなった」 「それで?どうしたの」 「放してきたわ。もとの海に」 彼女は両手を水槽に浸して目を閉じた |
|||
白い手が水死体のように水を吸い込んでゆく 体に水が沁みとおるのをその人は待っているようだった 「ねえ、海亀は海でちゃんと生きてゆけたのかしら。 かわいそうなことをしたわね」 「違うよ」 僕は水槽の中のその手を掴んだ |
||||
「かわいそうなのは海亀じゃなくてそのことをずっと 思い続けてるあなたのほうだ」 手を水から引き上げた時、ザプンという波の音がした 「まるで海に来たみたいだ」 その人は水槽の向うから出てきた そして僕の向かいに腰を下ろして言った 「ご注文は?」 |
||||
|