海亀
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魚のいない水槽の前でその人は頬杖をついていた

固く目を閉じて

きっと彼女は見つめていたのだ

空っぽな水槽を

目を瞑ったままその向うにあるものを

瞳の奥の暗闇で冷たく光る小さな海を

僕は出来れば邪魔したくなかったけれど


その人にコーヒーを下さいと言った

外はどしゃぶり

店の屋根を叩く雨音しか聞こえない

客達の囁き声も

カップとスプーンの擦れあう音も

水槽に放たれる気泡の音も

みんなかき消されてしまった


それをいいことに僕は小さな声で質問をした

「どうして魚を飼わないの?」

その人は首を傾げ

口を「お待たせしました」とだけ動かして

コーヒーを置いて行ってしまった

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